文士・芸術家一覧(か行)

片山広子

片山 広子(かたやま ひろこ)

1878~1957 歌人・翻訳家 東京都生まれ

 

外交官の娘として上流階級に育ち、西洋的な気品と教養を持ち合わせた女性。大正5年に処女歌集「かわせみ」を刊行。また、松村みね子の名でアイルランド文学の翻訳にも打ち込む。

随筆集「燈火節」でエッセイスト賞を受賞。村岡花子とは東洋英和女学校時代からの親友。

2014年10月大田区郷土博物館主催セミナー「歌人片山広子と翻訳家松村みね子」概要はこちらから

 

平成26年東京大森ロータリークラブ創立50周年記念事業DVD制作「文化の街大森を歩く」が完成、東京大森ロータリークラブのホームページにて第一シリーズ「多くの人々に愛された女流作家たち」(村岡花子、片山広子、宇野千代、吉屋信子、佐多稲子、熊谷恒子)の動画をご覧いただくことができます。

東京大森ロータリークラブのホームページからご覧ください

 

居住地:山王3-45(明治43年~昭和19年)

解説板:水路跡


川瀬巴水

川瀬 巴水(かわせ はすい)

1883~1957 浮世絵師・版画家 東京都生まれ

 

14才より日本画を学び、26才のとき鏑木清方の勧めで洋画の基礎を学び清方の門に入る。大正7年に伊藤深水の木版画「近江八景」を見て版画に興味を持ち以来、風景画を多数制作。深水とは親友の間柄。

 

居住地:中央4丁目(大正15年~昭和5年)

    南馬込3丁目(昭和5年~19年)

 

解説板:なし


川端茅舎

川端 茅舎(かわばた ぼうしゃ)

1987~1941 俳人・画家 東京都生まれ

 

洋画家を志し、岸田劉生に師事する。静物画が院展に入選。

岸田劉生没後は自らも病気がちになり、画業から遠ざかり俳句に専念する。主な作品に「川端茅舎句集」

「華厳」などがある。川端龍子は異母兄にあたる。

 

居住地:池上1-5-7(昭和3年~16年)

 

解説板:旧宅


川端康成

川端 康成(かわばた やすなり)

1899~1972 小説家 大阪府生まれ

 

19才の時に初めて伊豆へ旅行する。以来、10年間湯ヶ島を行き来し、旅先で「伊豆の踊り子」を執筆。

その後「雪国」「千羽鶴」「山の音」などを発表。文化勲章、ノーベル文学賞を受賞。

 

居住地:南馬込3-33(昭和3年~4年)

 

解説板:道路


川端龍子

川端 龍子(かわばた りゅうし)

1885~1966 日本画家 和歌山県生まれ

 

当初は西洋画を学んでいたが、大正2年にアメリカへ渡ったのを機に日本画家へ転向。のち「会場芸術主義」を鮮明に打ち出した青龍社を興す。龍子記念館、屋敷内の建築は全て龍子の意匠によるもの。

 

居住地:南馬込4-49-10(明治42年~昭和41年)

 

解説板:旧宅


北原白秋

北原 白秋(きたはら はくしゅう)

1885~1942 詩人 福岡県生まれ

 

26才の時「朱欒」を創刊。

詩集「邪宗門」で詩人として、また歌集「桐の花」で歌人として知られるようになる。

その後は童謡、民謡の世界にも創作の幅を広げ多くの功績を残す。

 

居住地:東馬込2-17-10(昭和2年~3年)

 

解説板:東馬込児童公園


衣巻省三

衣巻 省三(きぬまき せいぞう)

1900~1978 詩人・小説家 兵庫県生まれ

 

神戸時代に稲垣足穂と共に佐藤春男に師事し、大正末頃から文学活動を開始。モダンでハイカラな作風を持ち、「けしかけれられた男」が第一回芥川賞候補に。
小説「黄昏学校」「パラピンの聖女」、詩集「こわれた街」「足風琴」などが主な作品。

 

居住地:南馬込4-31-6(在住期間は不明)

 

解説板:旧宅跡


倉田百三

倉田 百三(くらた ひゃくぞう)

1891~1943 劇作家・評論家 広島県生まれ

 

大正6年「出家とその弟子」を岩波書店より刊行し一躍、文名を得たことで有名。同居していた新劇俳優の薄田研治に妻を喜んで譲るという事件があり、馬込放送局のトピックとなった。

 

居住地:南馬込3-37-18(大正13年~昭和18年)

 

解説板:旧宅


小島政二郎

小島 政二郎(こじま まさじろう)

1894~1994 小説家 東京都生まれ

 

大学在学中「三田文学」に作品を掲載し、森鴎外に認められる。
「一枚看板」で文壇的地位を築き、「緑の騎士」「花咲く樹」「海燕」などの次々と人気作を発表した。

「眼中の人」は自伝小説として、文壇内部の事情にも触れ「活きた大正文壇史」とも言われている。

 

居住地:山王2丁目(昭和12年~19年)

 

解説板:なし


小林古径

小林 古径(こばやし こけい)

1883~1957 日本画家 新潟県生まれ

 

明治32年16才で梶田半古に入門し半古塾の塾頭となり、紅児会より日本美術院に入る。大正期に「異端」「竹取物語」、昭和期には「清姫」「孔雀」など数々の名作を発表。

 

南馬込の旧邸宅・アトリエは新潟県上越市に移築され、平成14年から小林古径記念美術館としてオープン。

 

居住地:南馬込1-59-22(大正4年~昭和32年)

 

解説板:南馬込一丁目南児童公園