7月12日 大森倶楽部主催「大森と馬込文士村」講演会報告

一般社団法人大森倶楽部主催講演会「大森と馬込文士村」を次のとおり開催しました。会場には定員を上回る大勢のご参加をいただきました。大田区の姉妹都市セーラム市から来日された方々も日英音声翻訳を利用して聴講されました。

 

●開催日時: 2025年7月12日(土)10時~12時

●会場:   大森LUZ 入新井小集会室

●講師:   大田区立郷土博物館学芸員 築地 貴久氏

 


講演要旨

本講演では、大森と馬込地域の歴史的背景と、そこに形成された「馬込文士村」の文化的意義について紹介した。江戸時代から続く大森村は、海苔や麦わら細工の産地として栄え、明治以降も農漁村の風景を保ちつつ都市化が進んだ。一方、馬込は関東大震災後の宅地開発とともに、自然豊かな環境を求めて多くの文士や画家が移住し、独自の文化コミュニティを形成した。大正期には「木原会」や「大森丘の会」など芸術家の交流が活発化し、尾崎士郎や室生犀星らがこの地を拠点に創作活動を展開。大森駅周辺はモダンな都市文化の象徴として、馬込の静かな自然と対照的な魅力を放っていた。両地域の特性が交差することで、昭和初期の文学・芸術の一大拠点が築かれた。

大森と馬込文士村 年表

年代 出来事・人物・文化活動
江戸時代 大森村が海苔や麦わら細工の産地として発展。東海道の「間の宿」として旅人で賑わう。
元禄8年(1695年) 大森村が東・西・北の3村に分村。
享保年間(1716〜1736年) 海苔養殖が始まり、「御膳海苔」として将軍家に献上。
明治9年(1876年) 大森駅開設。地名は新井宿村字八景坂だったが「大森」の名を採用。
明治22年(1889年) 町村制施行により大森村が誕生。
大正元年(1912年) 望翠楼ホテル開業。芸術家の交流拠点となる。
大正5年(1916年) 「木原会」第1回展覧会開催。小林古径、川端龍子らが参加。
大正7年頃 「大森丘の会」発足。文士と画家の交流が深まる。
大正12年(1923年) 関東大震災。馬込への移住が進み、文士村形成が加速。尾崎士郎が馬込に居住。
昭和初期(1930年代) 馬込文士村が文化的拠点として確立。萩原朔太郎、室生犀星らが活動。
昭和8年(1933年) 尾崎士郎が森ヶ崎「寿々元」で『人生劇場』後半を執筆。
昭和14年(1939年) 大森海岸の料理店が38軒に達し、歓楽街として賑わう。
昭和戦前期 森ヶ崎が歓楽街・湯治場として発展。文士の執筆・交流の場となる。

本講演は、本年2月に開催した「おおたの花 梅をめでる」に続き一般社団法人大森倶楽部主催の講演会を大田区郷土博物館学芸員築地貴久氏に講師をお願いいたしました。

 

築地氏へ石塚理事長より花束贈呈後、大森倶楽部会館にて昼食懇親会を開催しました。