文士・芸術家一覧(は行)

萩原朔太郎

萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう)

1886~1942 詩人 群馬県生まれ

 

大正6年処女詩集「月に吠える」を出版。この年、詩話会会員となる。詩作を続けると共に「詩の原理」

「純正詩論」「日本への回帰」などの詩論集を出し、詩の世界に影響を与えた。

 

居住地:南馬込3-20-7(大正15年~昭和4年)

 

解説板:旧宅跡


日夏耿之介

日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ)

1890~1971 詩人・英文学者 長野県生まれ

 

芸術至上的な詩集「転身の頌」「黒衣聖母」で民衆詩派と対立。
日本初の体系的詩史「明治大正詩史」は読売文学賞を受賞。

山王の望翠楼ホテルで「大森丘の会」文士画家のメンバーのひとり。文学博士、飯田市名誉市民。

 

居住地:山王1-25-21(大正6年~14年)

 

解説板:山王第一児童公園


広津柳浪

広津 柳浪(ひろつ りゅうろう)

1861~1928 小説家 長崎県生まれ

 

14才の時に上京。帝大医科大学予備門に入学したものの興味がもてず廃業。その後、実業界や官吏などの職を転々とした。明治20年に処女作「女子参政蜃中楼」を発表し、「残菊」で作家としての地位を築く。

「おち椿」「黒蜥蜴」「今戸心中」などを発表。広津和郎の父。

 

居住地:山王4丁目(大正12年~昭和3年)

 

解説板:なし


広津和郎

広津 和郎(ひろつ かずお)

1891~1969 小説家・評論家 東京都生まれ

 

広津柳浪の次男。

大正5年、小説「神経病時代」で認められ、評論「散文芸術の位置」を発表。戦後は「松川裁判」「異邦人」等が論争になる。主な小説に「風雨強かるべし」「年月のあしおと」。馬込の方々で絵を描いていた。

 

居住地:南馬込2-14(大正15年~昭和5年)

 

解説板:道路 


藤原洸

藤浦 洸(ふじうら こう)

1895~1975 詩人 長崎県生まれ

 

大学時代は音楽家の弟子としてオペラ館のピアノ奏者をし、卒業後は詩人としてスタートする。

その後流行歌の作詞に転向、淡谷のり子の「別れのブルース」で一躍有名に。美空ひばりの「悲しき口笛」など数多くの歌謡曲の作詞を手がけた。戦後はNHKの人気番組「私の秘密」のレギュラーに。

また母校の慶応義塾の応援歌「三色旗の下に」や国民的に親しまれた「ラジオ体操の歌」も作詞。

 

居住地:山王4-11(在住期間は不明)

 

解説板:水路跡


講演要約

はじめに — 大森村の原風景・馬込文士村形成前

江戸時代、東海道の宿場町である品川と川崎の中間地点に位置する大森は、「間の宿」と呼ばれ、東海道を往来する人々が土産物として海苔や麦藁細工の玩具などを買い求め、賑わっていた。

明治9年(1876年)6月12日には、新橋と横浜を結ぶ東海道線の停車場として「大森駅」が開業。令和8年(2026年)には開業150周年を迎える。

大正元年には、山王(木原山)に外国人も宿泊可能な洋風のモダンなホテル「望翠楼ホテル」が開業。画家たちによる展覧会「木原会」が開催され、その後、大正7年(1918年)には文士を交えた「大森丘の会」へと引き継がれていった。これは文化人たちの交流の歴史の始まりである。

大正12(1923年)年9月1日に発生した関東大震災の後、馬込一帯は大きな被害を受けることなく、雑木林や坂道、麦畑などが広がる自然豊かな農村地帯であったため、東京中心部で被災した文士たちが移り住んだ。尾﨑士郎・宇野千代夫妻の呼びかけにより多くの文士が集まり、サロンを築いていった。馬込の田舎の風景の中に、当時モダンな文化住宅(赤い屋根、青い窓のバンガロー風の家、北原白秋の家など)が洋画で描かれている。


馬込と大森

自然豊かな農村風景が広がる馬込に対して、大森山王エリアはモダンな都市文化の特性を備えた場所である。

現在の環七通りは、もともとは川であり、その谷中から西側が馬込、東側が山王に分かれていた。現在、大森駅近くの天祖神社の脇道にあるレリーフが馬込文士村の入口のように案内されているが、当時は谷中付近が馬込村への入口であった(榊山潤『馬込文士村』より)。


大森駅周辺の景観

大森駅西口正面(現在の池上通り沿い)には、不二家レストラン、資生堂パーラー、料理屋三日月、松屋大森支店、美容院、喫茶店、眼鏡店などが建ち並び、高級でおしゃれな街並みを形成していた。室生犀星や川瀬巴水などのエッセイや記事に、これらの様子が記されている。

大正初期には、大森駅東口方面の森ケ崎・大森海岸には、尾﨑士郎などの文士たちが親しんだ鉱泉旅館、料理屋、芸妓家などの歓楽街が形成された。尾﨑によると、歓楽街というよりも湯治場的な清楚な雰囲気だったという。大森駅東口前には人力車の溜まり場があり、森ケ崎・大森海岸方面へ向かう人々を運んでいたようだ。

 

 

今回は、2月の講演会「大田の花梅をめでる」に続き、第2弾として、「大森と馬込文士村」について貴重なお話を伺うことができました。

 

感謝を込めて、大森倶楽部石塚理事長から、築地学芸員に花束を贈呈しました。

 

終了後は大森倶楽部会館にて、昼食懇親会を開催しました。

 

文責:大森倶楽部会員、馬込文士村ホームページ運営管理者

株式会社イーテス 野辺田一子

左大森倶楽部石塚理事長、 右築地学芸員
左大森倶楽部石塚理事長、 右築地学芸員